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子供時代
2008-04-20 Sun 22:57
ふと、小さな頃のことを思い出していました。

水泳があまりできなくて、25m泳ぐのがやっとだったこと。
でもそれが50m泳げるようになったとたん100m泳げた事
子供の頃の成長って、徐々にでなく、ある点を境にした時に急激な成長。
(あきらめないって大切)

でも、実は25mから50mまでが長くかかったのは
25mでさえ結構しんどいのに、50mを泳げるようになったら
それ以上の距離を目指さないといけない。
もっとしんどい距離を泳がないといけないと考えて、
それが嫌で泳げないフリをしていたこと。



そろばんを習っていて検定試験を受けると、
普段の練習(模擬)では十分合格できるはずなのに、
落ち続けていた事。

(おかげで本番に弱い子と思われていたけれど、
それ以降の人生では結構本番に強い)

先生や親はだいぶかわいそうに思ったようだったけど、
大人が思うほど私は傷ついていなかったこと。

でも、プレッシャーはあったみたいで、
小さな時から鼻血っ子の私は、珠算検定の最中に鼻血をだし
途中退出を強いられた。
でも、全部の試験が終了した後に、途中退出した分は
退出していた時間分だけは再試をすぐにさせてくれて、
それがとても嬉しかったこと。
(途中退出でもう不合格だと思ってたから)

みんなは帰っていたけれど、引率してくれてた先生
(当たりまえっちゃ当たり前なんだけど)、仲のいい友達は
私が終わるのを待っててくれてたこと。
それはとても嬉しかった。

監督してくれた先生にきちんとお礼を言って帰ったらしく。
数日後、自分の先生にはものすごくほめられた。
当たり前のことしかせずに帰ったつもりだったから、
とっても嬉しかった。

でもこの日の試験も、もちろん不合格だった(笑)


教会学校にいっていて、神様っているんだろうか?って
真剣に考えたことがあること。

ふと「いる!」って実感した事があったこと。

クリスチャン家族でなかった私は聖書を持っていなかった。
親にいったら買ってもらえたのかもしれないけど、
自分自身本当の必要性をその時まだ感じていなかったからか、
言えずにいた。のか言わなかった。

でもそのお陰で、自分で手に入れる方法を私はちゃんと見つけたこと。
イエス様の教えについての通信講座があって、それを最後まで
やり遂げると新約聖書がもらえた。
旧約聖書は長い間となりの人に見せてもらっていた。

聖書を持っていないことは、ちょっと珍しい事だったけど、
友達からもバカにされなかったし、みんな普通にみせてくれた。
先生からも買いなさい、とは一度も言われなかった。

これって、素晴らしいことだなぁと思う。
その後、お小遣いをためて旧約聖書も新約聖書も両方入っている聖書を手に入れた。

妹は私の影響で同じように通い始めた。
もちろん妹にも聖書はなかった。
みなが持っているのに自分だけ聖書がないのが恥ずかしかったからか、
家にある国語辞典(ちょうど大きさが似ていた!)を持って通ってた。
超かわいかった。
(後日談:妹より注意をうけました。
 恥ずかしかったからではなく、国語辞典が聖書だと思って持って行ってたそうです。
 そういえば、そう。妹は小学生にもなる前の事でした。アハハ。
 実の所、私が、少し「持っていない」事が恥ずかしかったのかな?と、指摘されて
 思いました・・・)

そんな小さなころのことをいろいろ思い出していたら、すごく幸せな気分になった。
人と比べて落ち込んだりするのではなく、
純粋に自分らしく生きていた気がする。
挫折も沢山あったけど、失敗は大きなミスではなくただの通過点だったこと。

子供時代ってとても素敵なんだと改めて思った。
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